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敷き紙論争の根本的誤解…「直」の定義

SNS上で定期的に話題にあがる「敷紙」または「置き紙」。

この論争に乗っかって要不要を言うとするなら「不要」だ。
あれは「直に置きたくない」という「一部の配達員側の都合」を「良心的に誤解」した様なものだと思う。
さらにそこに「自分の書いた文章やイラストを見て欲しい勢」が加わって焦点がぼやけてしまっているのかもしれない。
しかしこの論争には根本的な定義の時点で問題がある。
それは「直」の定義がおかしい、という事だ。
所謂「置き配」の状態を細かく分解してみると「食品の入った容器が袋に入っている」状態なのであって
「食品が直に置いてある」訳ではない。
ちなみに私はフードデリバリーを利用するときは基本的に「置き配」を選択している。
理由はドアスコープから置き配の様子をライブで見るのがシュミ、という変態だからだ。
その際お盆をもって玄関に向かう。
置き配完了後、取り込んだ袋を玄関タタキに置いて開封
袋の中身一式はお盆に乗せて食卓の上へ。
袋は裏表をひっくり返して丸めてゴミ箱へ。
なぜひっくり返すのか?
玄関外のタタキには集合住宅自治会の方で粉状の殺虫剤を撒いていて、その効果で御陀仏となったダンゴムシの遺骸がゴロゴロしている状態なので、そこに置いてあった部分に触れるのは極力回避したく、よって袋の内側に封印しているのである。
そんな状況なので先日注文した時に初めて「敷紙」の洗礼を受けた折、タタキや裏側に触らぬように摘み上げ折り畳んでゴミ箱に持っていく、というこちらにしてみると全く無駄に行動コストを支払っている状態になってしまった。
 
話を戻すと敷紙問題は、要不要以前に「直」の定義の問題、ということだ。
ここを曖昧にしたままで何か不測の事態がおこって敷紙が肯定されてしまう様な流れになれば、「御御御付け」的に敷き紙以上の「過剰包装」が暴走する、という笑えない現象に発展しかねない。
しかし…自動配達ロボットが敷紙をセットしている未来がきたら笑ってしまうな
( ̄▽ ̄;)